【Daily Choppy !】第429回:心頭滅却すれば火もまた涼し

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こんにちは。思い込みで生きている男、チョッピーです。

今回の記事について

心頭滅却すれば火もまた涼し
心頭滅却すれば火もまた涼し

今回はチョッピーの考える「生きやすくなるための考え方」についてのお話です。

久しぶりにHAPPYな生活について考えてみました

昨日の「Daily Choppy !」↓で「僕の考えるHAPPYになるための理性と感性の活用方法」を書いてみました。

この記事に限らず僕は「Daily Choppy !」上でしばしば「HAPPY」を題材にした記事を書いています。たとえばこちら↓とか。

折に触れて「HAPPYの実現」について考えたり、その結果を書いている理由はふらとぴの理念が「Make everyone happy !!」であるからです。上で紹介した「Daily Choppy !」第322回でも同じような説明をしています。

ふらとぴは「Make everyone happy !!」を理念として掲げています。僕はこの理念を実現するために前職を退職し、ふらとぴ事業を開始しました。

【Daily Choppy !】第322回:「やりたい事」も「なりたい姿」も実現できない人は「HAPPY!!」にはなれないのだろうか?|ふらとぴ

で、昨日もボンヤリとHAPPYについて考えていたところ、ひとつの考えが浮かんできたので少し書いてみよう思います。

少しHAPPYな生活を長く続ける人生よりも最高にHAPPYな瞬間のある人生の方が生きやすいのでは

本当に仮説なんですけど、この小見出しに書いた通り「少しHAPPYな生活を長く続ける人生」よりも「最高にHAPPYな瞬間のある人生」の方がもしかしたら生きやすさは上になってくるのではないでしょうか。

チョッピー
チョッピー

なんで?

その理由は人には「記憶を思い出すだけで、その時の感情を追体験できる」能力があるのではないかと思われるからです。

チョッピー
チョッピー

確かに悲しい出来事を思い出すだけで泣く人とか、怒りを感じたエピソードを話してるだけで怒り出す人とかいるね。逆に楽しかった思い出を話してると、それだけで楽しくなる事も確かにある気はする。

人間は記憶を思い出すだけで、その時の感情も同時に蘇るのではないか。この仮説が正しいのであれば、過去にとても強いHAPPYを経験した人は、それを思い出すだけで常に強いHAPPYを感じられるハズです。

この様に考えると「少しHAPPYな生活が長く続く人」よりも「最高にHAPPYな経験をした事のある人」の方が、日々の生活で感じられるHAPPYは大きくなるように思えます。「HAPPY」を感じる機会が多ければ多いほど、また、その程度が大きければ大きいほど、当たり前ながら人生は「HAPPY」となります。

ちなみに僕の仮説にもう少し説得力を加えられるかもしれない要素をご紹介します。「エピソード記憶」というモノです。教育の分野では有名な概念らしいので、そちらに明るい方はご存じかもしれません。

個人的に体験された出来事についての記憶。 カナダの心理学者タルヴィングが、「命題記憶」の1分類として「意味記憶」と対比させた概念。 たとえば「みかん」という言葉から想起される「小さい頃、おばあちゃんの家のこたつで一緒にみかんを食べた」という思い出や、そこから連想される具体的な経験がエピソード記憶にあたる。さらに情景だけでなく「一緒に食べた子と、その後仲良くなった」といった時間軸を持つストーリーや、それに付随する感情もエピソード記憶に含まれる。また、同じ人でも「給食の冷凍みかん」「一面のみかん畑」などさまざまな記憶を回想できることから、エピソード記憶は恣意的な記憶といえる。 なお、エピソード記憶の内容はその人の置かれた状況に応じて変形しやすく、その真偽を客観的に判断することは難しい。

エピソード記憶(えぴそーどきおく)とは|コトバンク

「それに付随する感情もエピソード記憶に含まれる」とあります。つまり感情も記憶され、それを思い出す事も可能なハズです。

極論、思い込むだけでHAPPYになれるハズ

HAPPYであったエピソード記憶を思い出せばHAPPYになれる。だから瞬間的であっても深いHAPPYを経験した方がよい。この考え方を深めていくと、少し面白い結論に至ります。

それは「実際にHAPPYな経験をしていなくてもHAPPYにはなれる」というモノです。

チョッピー
チョッピー

ちょっとよくわからない

ご説明します。HAPPYが追体験可能なのはエピソード記憶としてHAPPYという感情が記録されているからです。ここで大事なのはあくまでも感情が「記憶」として記録されているというところ。

記憶って不確かなモノです。実際に体験した内容も覚えていなかったり、逆に実際には体験していない内容を記憶していたりします。つまり記憶は改ざん可能なデータです。改ざん可能なデータの中に「感情」も含まれる。つまり感情は改ざん可能な情報なのです。

実際にエピソード記憶の説明文中にも「エピソード記憶の内容はその人の置かれた状況に応じて変形しやすく、その真偽を客観的に判断することは難しい」と書かれています。であるならば、積極的に変形させていって自分の都合のよい記憶を作り出していくべきです。

チョッピー
チョッピー

なんだか怪しい話になってきたな

確かに怪しい。でも、実際、そういうモノなのではないでしょうか。自分の経験は解釈次第でいかようにも価値を変えられます。人間がそのような不確かなモノに大いに頼っているのが事実なのであれば、それをハックし、可能な限り生きやすい状態に自らを作り上げるのは有意義な事なのではないかと考える次第です。

本日の締め

今回は僕の考える「生きやすくなるための考え方」についてのお話を書いてみました。

最終的に「記憶を改ざんしろ」というなんだかヤバめの結論に至ってしまいました。しかし、実際に人間は各々の認識の世界の中で生きているので、この考え方には(雰囲気はひたすら怪しいですが)それなりに正当性があるのではないかとも思っています。

本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。

今回の記事、タイトルの一言(心頭滅却すれば火もまた涼し)で片づけられる内容である気もします。

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