【Daily Choppy !】第76回:人間に理性と感情が同居している事の不思議さについて

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こんにちは。チョッピーです。

人間の行動原理って「理性」と「感情」の2つに大別できるのではないかと思います。
例えば「行動原理」を辞書で引いてみると以下の様な説明が載っています。

行動の根源的な動機となる本能・欲求・願望・信条・価値観など。

行動原理|コトバンク

ここで列挙されているモノを「理性」と「感情」のどちらに属するのか…という観点で分類してみると以下の様になるのではないかと思います。

理性に属するモノ

  • 信条
  • 価値観

感情に属するモノ

  • 本能
  • 欲求

理性・感情の両方に属するモノ

  • 願望

これは僕の独断と偏見に基づく分類なので、専門家等に言わせると全然、違うのかもしれませんが、一般的にはこんな感じの分類になるのではないかと思います。「願望」だけは「理性」と「感情」の両方に属するモノな気がしますが、いずれにせよ「辞書に行動原理の例として挙げられている具体的なモノ」は全て「理性」と「感情」によって司られている事は間違いないと思います。

要は人間の行動の動機となるモノって「理性」と「感情」の2種類が存在するという事だと思うんですよね。これって個人的には「行動」という単一の行為を導くための回路としては、あんまり優れていない設計であるような気がします。

だって、人間がなにかしらの「行動」に至るまでの情報の流れを非常に簡略化して示すと、基本的にはコンピュータと同じく以下の様になると思うんですね。

  1. 情報のインプット
  2. 処理
  3. 情報のアウトプット

ここでいう「1」は、ある人に対する内外からの刺激に相当します。「3」は行動です。
「2」が今回の記事の主題である「理性」と「感情」になります。

そう、「理性と感情」なんですよね。処理を行う機関が2つあるんです。
そうなると結果的に「3」も2つ出てきてしまいますよね。

出てきた2つがたまたま一致していれば問題ありませんが、一致していない場合は大問題です。
「Aをしろ!」と命じる自分と「Aをするな!」と命じる自分が同時に存在してしまうわけですから、もう、大混乱です。

もう少しわかりやすくするために具体例を出しましょう。
ダイエット中に美味しそうなケーキを見つけてしまった場合なんてわかりやすいですね。

この場合「理性」は「ケーキ」をインプットにして「ケーキを食べるな」という結論を導き出します。対して「感情」は…考えるまでも無いですね。「ケーキを食べろ」という結論を導き出します。かくしてなにかしらの行動を取らなければいけない「僕」は相反する2つの命令の間で苦悩する事になるわけです。最初から1つの命令しか導き出さない作りになっていれば、こんな事で悩む事も無かったのに…。

というわけで、やはり「行動」を導き出すための処理として「理性」と「感情」の2つが用意されている回路は、あまり上質な設計であるとは言えないと感じられます。

しかしながら、その事に文句を言っても何にもなりません。
人間である以上は「理性」と「感情」のどちらかを消し去る事は一般的には不可能です。
それが変える事の出来ない現実です。
であるならば、それを受け入れた上で「幸福の総量が最大化する選択肢」を探っていくのが一番、建設的な態度と言えるでしょう。

さて、ここで問題となるのは「理性と感情が導き出した判断のうち、どちらを優先すれば幸福の総量は最大化されるのか?」という点です。これは非常に難しい。

一般的には「感情」が導き出した答えよりも「理性」が導き出した答えの方が「正しい」とされる事が多いと思います。「感情起因の誤った判断」は「○○バイアス」という表現で批判的に表されたりもしますしね。

でも、僕、人間って必ずしも「正しいこと」に対して「幸福感」を感じるわけじゃないと思うんですよね。「正しさ」を追求した結果「不幸せ」になった人の事例ってたくさんある気もします。

なんだか僕は最近「仮に正しくないとしても、それで本人の幸福の総量が最大化されるんだったら、それでいいんじゃないのかな」と思う事が増えてきました。ただ、それにより「社会的な幸福の総量が減少してしまう場合」は流石に問題だとは思いますが。

もしかしたら、この辺りに人間が「理性」と「感情」という2つの判断ロジックを保有している理由があるのかもしれませんね。人間は「理性」と「感情」のどちらを優先するかによって「社会を優先する存在」と「個人を優先する存在」のどちらにもなれる可能性を秘めている。「正しさ」を優先すれば前者の存在になれる。「個人の幸せ」を優先すれば後者の存在になれる。そのどちらの特性を持つ生き物が生存に有利かは、ケースバイケースで変わってくる…。

人間は「外部の環境の変化に柔軟に対応できる生き物」を追求して進化していった結果「個体でありながら複数の行動原理を持つ生き物」として形づくられたのかもしれませんね。

うーん、今日の記事は当初考えていた内容と、まったく違うところに着地してしまいました。
当初は「ムーブメントの原動力は感情ではないか?」みたいな内容の記事にしようと思って書き始めたんですよ。書いてるうちにドンドン違う方向に記事が進んでしまいました。面白いですね。

本日もふらとぴに訪問頂きありがとうございます。
少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。

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