【Daily Choppy !】第59回:2019年9月現在33歳のとある男性が「出産・育児」に対して感じる印象が「無理ゲー」である事について

Daily Choppy ! アイキャッチ画像2Daily Choppy!

こんにちは。チョッピーです。

今回の記事のタイトルで記載されている「とある男性」って、まぁ、僕の事なんですけど、今日は僕が感じる「出産・育児」に対する印象について語ってみたいと思います。この話題は下手な事を書くと炎上するリスクが高い様に感じるので、わざわざ積極的に題材に選ぶ事も無いのですが、ちょっと思うところがあったので書いてみようかな…と。

ていうか、アレですね…「出産・育児」に対して「それに関する意見を述べると炎上する可能性が高い話題」だと認識されている事そのものが、現代における「出産・育児」にはかなり高いハードルが課されてしまっている事の証左であるような気もしますが…。

この辺りも含めて僕の「出産・育児」に関する印象を一言で表すと「無理ゲー」ですね。
まぁ、これも記事のタイトルに書いている通りなのですが。

いや、だって、マジで無理じゃないですか? ハードルが高すぎますよね。
まず出産・育児をするためには、それに必要な複数の前提事項があります。パッと思いつくだけでも以下みたいな感じ。

  • 男女ともにパートナーがいること
  • 生殖行為が可能な身体的機能を備えていること
  • 出産に必要な期間の金銭的コストを賄える体制が整えられていること
  • 男女ともに出産に伴い発生する様々な精神的・肉体的負担を賄える体制が整えられていること
  • 育児に必要な期間の金銭的コストを賄える体制が整えられていること
  • 男女ともに出産に伴い発生する育児における様々な精神的・肉体的負担を賄える体制が整えられていること

これらは基本的に全て必要条件であるため、ひとつでも満たせるモノが無ければ満足な「出産・育児」は難しくなります。(「育児」だけであれば「男女ともにパートナーがいること」「生殖行為が可能な身体的機能を備えていること」は必要条件ではなくなりますが)

僕の場合は少なくとも上記の条件のうち「男女ともにパートナーがいること」だけは備えているのですが、他の条件に関しては満たしていない or 満たしているか不明です。具体的に述べると「生殖行為が可能な身体的機能を備えていること」に関しては満たしているか不明な事が確実です。今のところ射精機能に問題はありませんが、 産生している精子に受精能力が備わっているのかは検査をした事が無いので不明です。検査をすれば判明するのでしょうけど、明確に「子供を作る」という決意が為されていない現時点において、ワザワザ検査をするか…?と言われると微妙ですね。

その他の条件に関してですが、「金銭的コストが関わる条件」に関しては現時点の僕は確実に満たしていません。何故ならば独立した事に伴い収入がほとんどゼロに等しい状況になってしまっているからです。

また「様々な精神的・肉体的負担」に関する条件は満たしているかどうか不明です。
時間的な制約に関しては今の僕は比較的自由に調整できるため色々と対応は可能だと思うのですが、それにより諸々のクライシスを避けれるだけの対応が取れるのか…と言われると「やってみないとわからない」以上の回答は出来ません。

ちなみに、僕は前職ではそれなりに給料の良い会社に所属していましたので、仮に独立していなければ「金銭的コストが関わる条件」に関しては確実に満たしていたと思うのですが、その場合、逆に「様々な精神的・肉体的負担」に関する条件は絶対に満たせなかったと思います。それを満たすためには時間的な余裕があまりに足りなかった。(頻繁に「業務のために帰宅が27時になる」みたいな生活をしていたためです)

「この生活を続けていては仮に【子育てをしたい】と思った時に絶対に実現出来ないな…」と感じたという点は、僕が独立した理由のひとつでもあります。「独立した上で金銭的コストを賄うこと」もかなり難易度の高い事だと思うのですが、僕にはそちらの方が難易度は低い様に感じられました。

「一般企業に勤めながら出産・育児に必要な金銭・時間・肉体・精神に関わる条件を満たす方法」は僕には、まったく、想像する事が出来ない。それは僕にとっては無理ゲーどころの騒ぎではなく、確実に「最初からクリアできないバグが仕込まれているゲーム」に他なりません。

で、今の僕は独立した事により少なくとも「時間・肉体・精神」に関わる条件は「やってみないとわからない」というところまでは好転したので「金銭的な問題」さえ解決する事が出来れば「出産・育児」に関して「無理ゲーだけど、挑戦を諦める程、詰んでいるわけではない」というイメージになっています。

ただ、ここで問題となるのが「そこまでの難易度を課されているわりに、それを実施する事により得られる喜びが未知数」という点です。僕、基本的に子供と関わった経験に乏しい人生を送ってきたため「出産・育児の喜び」というモノがサッパリわからないんですよね。

Twitter等で育児系のマンガ等を読んでみても、大抵は「子育ては大変」「夫が無責任でムカつく」みたいなネガティブな内容ばかりですし(ちなみにそれには非常に共感できます。マジで大変なんだろうな…と思います)子育てに伴う喜び…みたいなモノがイマイチわかりません。

これは僕の感性に問題があるのでしょうが「子供がかわいい」と言われましても「はぁ…」としか思えないですし。かわいさを感じたいだけならペットを飼った方が費用対効果が高いのでは?とか思ったりもします。(繰り返しになりますが、おそらく、この感想を抱く時点で僕の共感性には大きな欠陥があるのだろうな…とは思います)

他の観点として「将来の生産年齢人口候補を1人増やす行為に社会的な価値がある」事はわかりますので「出産・育児」には「社会に貢献する喜び」みたいなモノがあるのかもしれませんが…その様な「社会に対する義務感」で「出産・育児」をするのは個人的にあまり望ましくないと感じます。それはなんというか、人間を「社会を構成するための歯車」と認識している考え方な気がするんですね。その考え方は僕の思想信条とは合致しませんので、その考え方をエネルギーに「無理ゲーをクリアする」事は僕には出来ない気がします。(あくまで「僕には出来ない」という話です。出来る人もいるとは思いますし、それに対して良いとか悪いとかの価値判断をするつもりはありません)

なので今の僕は「出産・育児」に対して「クリアする事も出来るかわからないし、クリアしたところで嬉しいのかどうかもわからない無理ゲー」という印象を感じています。いつもの僕の論調だと「わからないなら、とりあえずやっちゃえよ。やってから考えろ」という方向になるのですが、それが「自分だけに影響するモノ」であるなら、もちろん「やっちゃう」のですが(だから独立もしました)こと「出産・育児」になると影響範囲が大きすぎるんですよね…。確実に「子供」という「他者」に対して影響が及ぼされるので…。

僕は「自分の意思決定で他人が巻き込まれる事」に対しても「それは最終的にはその人の意思で対応を決めているのだから問題ない」という考え方で対応しているのですが「この世に産まれる事」に関しては「完全に主体の意思とは関係の無い事象」ですからね…。子供は本人が望んで産まれるわけではありません。親が産みたい or 産ませたいと思った結果、産まれてくるわけです。その様な大事な出来事を他者に強制するのにあたって、その責任を負うべき者が「クリアできるかわからん」とか言ってる状態ではいかんだろ…と思ってしまいます。

まぁ、なので個人的には「生産年齢人口が1人増える事により恩恵を受ける存在」であるところの「社会」がもっと「出産・育児の親にとっての難易度」を下げてくれると出生率も向上していいんじゃないのかな…とか思ったりするわけなんですけど。

え? 「じゃあ、お前が社会に働きかけて、それを実現しろよ。無責任な事ばっかり言ってるんじゃねぇ」ですか? うん、そうですね…まったくおっしゃる通りです。ホントにこれは難しい問題ですねぇ。皆さんはどうお考えになられますか?

本日もふらとぴに訪問頂きありがとうございます。
少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。

タイトルとURLをコピーしました