【Daily Choppy !】第751回:キャンセルカルチャーは無くならない

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こんにちは。快楽の虜、チョッピーです。

キャンセルカルチャーは無くならない
キャンセルカルチャーは無くならない

今回の記事の内容

先日、小林賢太郎氏の解任の件について考えた内容を記事にした。『Daily Choppy !』第746回↓だ。

今のところ、こちらの記事にはいつもの記事よりも多く(具体的には3倍くらいの数)の読者の方に訪れて頂いている。どうやら本件は多くの方にとって関心のあるテーマだったようだ。

だから…というわけではないが、今回もこれに関連するお話を書いてみたいと思う。題材は「他人の道義的責任を追及する理由とは?」だ。

チョッピー
チョッピー

ちなみに『Daily Choppy !』第746回は「自分の道義的責任をどう考えるか」に主眼を置いた記事になっています。

サイモン・ウィーゼンタール・センターへの情報連携の意図

小林賢太郎氏が解任された直接のキッカケは、米国のユダヤ系人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」より小林賢太郎氏の過去のコントの内容を非難するコメントが出された事だと思う。

ただ、サイモン・ウィーゼンタール・センターは当該コメントを出す前に、自ら小林賢太郎氏の過去のコントを発見したわけではない。 サイモン・ウィーゼンタール・センター がコントの内容を知ったのは中山泰秀防衛副大臣等の連絡を通じてだ。

さて、ここで少し疑問があるのだが、中山泰秀防衛副大臣等はどうして小林賢太郎氏の過去のコントの内容を サイモン・ウィーゼンタール・センターに連携したのだろうか?

おそらく、その後の展開(サイモン・ウィーゼンタール・センターからの非難のコメントと、それを受けての小林賢太郎氏の解任)を予想しての行動だとは思う。

ただ、何のために?

わかりやすいパターン

もし仮に中山泰秀防衛副大臣等がホロコーストの直接の被害者だったり、彼らの親族・友人等にホロコーストの被害者がいる場合は理解はしやすい。

自分や、その仲間が被害を受けた現実の事件を、コントの中で揶揄する(少なくとも当人にとってはその様に感じられる)使われ方をされたら、それに対して不快感を感じる人が出てくるのは不思議ではない。

その場合、その人はコントの作者に対しても不快感を感じるだろうし、そのコントの作者が「不当な大役」に就いている場合、それを妨げようと動くのも理解できる。

ただ、今回、小林賢太郎氏の過去のコントの内容をサイモン・ウィーゼンタール・センターに連携した人は、その全てが「ホロコーストの直接の被害者や、彼らの親族・友人等にホロコーストの被害者がいる人」だったのだろうか?

真相は僕にはわからない。僕にはわからないが、仮に「ホロコーストの直接の被害者や、彼らの親族・友人等にホロコーストの被害者がいる人」でないのに、サイモン・ウィーゼンタール・センターに情報を連携した人がいた場合、その人には何の狙いがあったのだろうか?

わかりやすいパターンではないパターン

僕には以下の2つの理由が思い付く。

  1. 義侠心の発露
  2. ルサンチマンの発露

それぞれ簡単に説明すると以下の通りだ。

義侠心の発露

チョッピー
チョッピー

あんな人間が、あんな役職であんなお仕事をしているなんて社会のためにならない! 止めなければ社会がおかしくなる! アイツの過去の行いを白日の下に晒し、僕達の手で正義の鉄槌を下すのだ!

ルサンチマンの発露

チョッピー
チョッピー

あんな人間が、あんな役職であんなお仕事をしているなんて…! 僕はこんな立場に甘んじているというのに…。絶対に許せない! アイツの過去の行いを白日の下に晒し、僕達の手でヤツを引きずり落としてやる!

人を操るモノ

上の2つの理由はどちらも僕が想像できる範囲のモノに過ぎないので、実際に情報を連携した人の考えや気持ちと全く一致していない可能性もある。

ただ、もし上の2つの理由のどちらかに突き動かされている人がいる場合、僕には、その人はどちらの場合であろうとも脳内物質の虜になっているのではないかと思う。

義侠心に駆られて他人の道義的責任を追及する場合、その人は利他的行動を取っていると言える。ルサンチマンに突き動かされて他人の道義的責任を追及する場合、その人は復讐を行っていると言える。

利他的行動も復讐も、それを果たしたとき、人の脳内ではそれぞれ次の脳内物質が放出され、その人は快感を感じるらしい。

利他的行動であれ、復讐であれ、現在はこれを容易く行える時代だ。

有名人・著名人の過去の言動・作品も簡単に調べられるし、そこに問題があった場合、その人に最大のダメージを与えられるであろう方法も簡単に実行できる。結果、その人は脳内物質の放出による快楽を享受し、その虜となる。

今回の小林賢太郎氏の解任劇は、人間にプログラミングされた機能が適切に働いた結果、起こるべくして起こった事象だったのかもしれない。

本日の締め

今回は僕の考える「他人の道義的責任を追及する理由」を述べてみました。

結論としては「人間はそう動くようにプログラミングされているから」という身も蓋も無いモノとなりました。おそらく人間が社会的動物である以上、今後も小林賢太郎氏の解任劇のような動きは続いていくのでしょう。

ただ、個人的にはこれには1点だけ懸念があって…義侠心も復讐心も簡単に満たせる時代であるのは間違いないと思うのですが、それを満たしたところで、当人に「脳内物質による快感」以外のメリットはないんですよね。

それを満たしところで当人の社会的地位が上がるわけでもないですし、金銭的メリットを享受できるわけでもありません。ただ、脳内物質による快感が得られるだけです。

それを是とするか否とするかは人それぞれです。ただ、人間は社会的動物であると同時に個の利益も追求しなければ生きていけない生き物でもあります。

もしかすると、あまりに義侠心や復讐心に傾倒するのも危険なのかもしれませんね。

本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。

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