【Daily Choppy !】第17回:自縄自縛から抜け出すために

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こんにちは。チョッピーです。

今回の記事では、もしかしたら真面目な思想家の皆様には激しく怒られてしまうかもしれない(見方によっては)軽薄な意見を述べます。

僕、以下の記事等でも、その片鱗を垣間見せているんですけど

それぞれのモノの見方で得手不得手が出てくるのであれば、物事のフェーズに合わせて「主観的なモノの見方」と「客観的なモノの見方」の両方を使い分ける事が出来た方が嬉しいですよね。

「Daily Choppy !」第7回:「客観的」とはどういう事だろうか

「考え方」というモノについてかなり「本人の本質とは関係の無いモノ」というスタンスで接しています。

それらの物事は「個人の選択」にかなり影響を及ぼすモノであり、言い換えれば「価値観」に直結しているモノではあるとは思うのですが、必ずしも「交換可能性の無いモノ」ではないと思うんですよね。実際、数年前の考え方と今の考え方を比べた場合に、それがまったく同じモノでは無い場合とかもある…というか、そちらの方が多いと思うんですよ。「若気の至り」とかよく言いますし。

およそ「人間が頭の中で考えるモノ」に関して「絶対的に正しくて不変であるモノ」なんてモノは無いんじゃないかな?とか思っています。「絶対的に正しくて不変であるモノ」は定義から言っても「公理」だけであって (公理をベースに導き出された「定理」も「絶対的に正しくて不変であるモノ」と言ってもいいのでしょうけど) 「公理」は観測可能な現象(のハズ)なので「頭の中で考えるモノ」ではないハズです。

で、あるならば、ですよ。極論「考え方が変わるスピード」を極限にまで高めたっていいと思うんですね。要は「この場面においては今の自分の考えとは若干、ズレるが、こちらの考え方に従った方が都合がよさそうだ」という場合、簡単に考えを変えてもいいのではないかと思うのですよね。

まぁ、もちろん、それをあまりに露骨にやり過ぎてしまうと「考えがコロコロ変わる人間」とか「信念の無い人間」という風に見られてしまって、それはそれで立場が悪くなってしまう可能性もありますけれども。こんな事を言っている私自身も言っている事が二転三転する人は、そんなに得意では無いですし。

ただですね、何かの考えに固執してしまって、その考えの範囲内でしか行動が起こせなくなってしまうと、それはちょっと損なのではないかな?とか思ったりもするわけです。
「意固地」とか「自縄自縛」とか言われている状態に近いのかもしれません。もしくは…そうですね、過激な思想に染まってしまい社会生活が困難になってしまった人とか、一家離散の憂き目にあってしまった人とか…そういう状態って、客観的に見て、あんまり望ましくない状態なんじゃないのかな?と思うわけです。

もちろん「余計なお世話だ。俺は俺の思想を貫く」という考えもあるとは思いますし、それで本人や周りの人が幸せなのであればいいのですが、もし、そうでないのであれば、少しだけ考え方を変えてみてもいいんじゃないかな?とも思います。

何が言いたいかと言うと「思想・信条は交換可能性のあるモノなのだから、それに凝り固まり、自らに不利益が発生するスタンスを貫く必要などないのではないか」という事です。もちろん「考えを変える事により発生するストレス等の不利益」と「考えを変えない事により発生する不利益」を比較した場合に、前者の方が大きい場合は考えを変える必要も無いと思います。要はこの様に「この思想で生きた場合に、自分にどの程度のメリット・デメリットが発生するか」という即物的な考え方もアリなのではないかな…という事を言いたかったのです。

もし「自分の信念」だったり「過去の自分の発言」に縛られてしまい「自由に生きること」が難しくなってしまっている人がいらっしゃいましたら、この記事で書かれている様な「軽薄な生き方」という道もある事を少しだけでも意識して頂けたら、もしかすると極めて僅かな可能性かもしれませんが「幸せな人生」に近づく事も出来る…かもしれません。

本日もふらとぴに訪問頂きありがとうございます。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。

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