【Daily Choppy !】第247回:「稼いだ奴が偉い」という主張は論理的に間違っている

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こんにちは。チョッピーです。

本日の記事について

今回はチョッピーの考える売上と価値の関係性についてのお話です。

稼いだ奴が偉いって本当?

「稼いだ奴が偉い」という主張を見聞きする事があります。

その主張の論理展開としては「お金を稼げているという事は顧客に価値を提供しているという事だ。逆に言えば顧客は価値を感じているからこそ商品にお金を払うのであって、多くのお金を稼いでいるという事はそれだけ多くの価値を顧客に提供しているという事になる。よって多くのお金を稼いだ人間は偉い」というモノがメジャーであるように思えます。

要は「稼いだ奴が偉い」という主張は「お金は価値の対価。価値を多く提供している人間は偉い」という理屈から導き出される結論なのだと思われます。

僕はこの理屈は間違っていると考えます。誤解して頂きたくないのですが、心情的な「正しい・正しくない」というレベルで間違っていると言っているのではなくて、単純に論理的整合性のレベルで間違っていると考えます。

顧客は価値の対価としてお金を払っているの?

「稼いだ奴が偉い」の論拠となる「お金は価値の対価。価値を多く提供している人間は偉い」という主張はどこが間違っているのでしょうか? 答えは簡単です。「お金は価値の対価」という部分が間違っています。

何故か? これは通常の契約の流れを考えれば自明です。

コンビニでおにぎりを買う場合の流れ

例えばコンビニでおにぎりを買う場合の契約の流れを考えてみましょう。コンビニでおにぎりを買う手順はザックリ説明すると以下の通りです。

  1. 顧客が棚に陳列されているおにぎりを見付ける
  2. 顧客が自分の食べたいおにぎりを手に取る
  3. 顧客がレジでおにぎりを店員に渡す
  4. 店員が値段を読み取り顧客に提示する
  5. 顧客が提示された値段のお金を店員に支払う
  6. 店員がお金と引き換えにおにぎりを顧客に渡す

上記の手順のうち「1~2」にて顧客は商品に価値を感じています。また「3~5」にて売買契約が交わされています。その結果として「6」の商品とお金の交換がなされました。以上がおにぎりを買う場合の流れです。

お客さんはいつおにぎりの価値を得るの?

さて、この流れを経てお店はおにぎりの対価として売上を得ましたが、顧客はお金を払って価値を得ているのでしょうか?

そうですね、顧客はまだ価値を得ていませんね。

おにぎりの価値とは本質的には「空腹が満たせること」でしょう。さらに付加価値として「美味しさが味わえる」というものもあると思います。これを顧客が得るためには「食べて味わう」という行為が必要です。よってお金を払った時点では顧客はまだ価値を得ていないと言えます。

おにぎりに期待した価値を効用として得られなかった場合どうなる?

さらに実際に顧客がおにぎりを食べた結果「思ったよりも美味しくない」という気持ちになった場合、顧客はお店に返金を求められるのでしょうか?

本当に「お金は価値の対価」であるのであれば求められるハズです。何故ならば顧客は「美味しさが味わえる」という付加価値も求めて、おにぎりを買っているのですから、それが得られないのであればその分の対価としてのお金は返金してもらえなければ筋が通りません。

でも実際には購入したおにぎりが美味しくなかったからと言って返金に応じてもらう事は出来ないでしょう。おにぎり購入の手順「3~5」を経て「6」の手順を実行した時点で、すでに売買契約は成立しているからです。

お客さんは価値に対する期待値として妥当な額のお金を支払っている

「価値を得ていないにも関わらずお金を払う必要がある」かつ「実際には価値が無い商品だったとしてもお金は返されない」という2つの事実から、帰納的に「お金は価値の対価ではない」という結論が導き出されます。

では、この場合「お金=売上」は何の対価として発生しているのでしょうか。答えは「顧客の価値に対する期待」です。

コンビニのお客さんはおにぎりに対して「おそらく空腹は満たせ、味も美味しいのだろう」という期待を感じています。商品の値段がその期待の対価として払ってもよいと感じられる数字だった場合に、お客さんはおにぎりを購入します。つまりこの場合のお金は価値の対価ではなく価値に対する期待を表す数字であり、売上総額は期待値の総量と言えるのです。

必ずしもこの結論が正しいわけではないパターンもあり得る

以上が僕が「お金は価値の対価。価値を多く提供している人間は偉い」という論拠が間違っていると考える理由です。ただし、この結論は文中でも書いた通り帰納的に導き出しています。つまり蓋然的な結論であり必然的な結論ではありません。

ある事柄が起こりうると考えられるさま。ある程度確かであるさま。

蓋然的|コトバンク

よって例外もあり得ます。例えば「満足しなければ返金する」とか「満足いただけた場合だけお金を受け取る」みたいな契約方法を採用している場合は正しく「価値の対価として売上を得ている」と言えるでしょう。

そうでない場合は「価値の対価として売上を得ている」とは言えません。「価値の対価として売上を得ている」と言えない場合が存在する以上「お金は価値の対価。価値を多く提供している人間は偉い」という主張は間違っています。

本日の締め

今日は昨今まことしやかに語られる「稼いだ奴が偉い」という理屈を真っ向からぶった切る主張を述べてみました。なお「何をもって”偉い”とするのか」という論点に関してはあえて触れていません。「偉い」という言葉はあまりに主観的なモノなので論じる事にあまり意味がないかな…と考えたためです。ご了承ください。

本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。

こういう感じの記事はなんだか久しぶりに書いた気がします。正直、粗削りな主張だと思うので異論反論ありましたら僕のTwitterのDM等にご連絡ください。

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