【Daily Choppy !】第583回:僕とあなたの終着点について

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こんにちは。昨年度の年収が10万円だった男、チョッピーです。

今回の記事について

僕とあなたの終着点について
僕とあなたの終着点について

今回はチョッピーの考える「物事を行う際の望ましいスタンス」についてのお話です。

変な人生になっています

僕、今、起業家として活動しています。もう少し詳しくお伝えすると「ふらとぴ」という「障害福祉業を支援する」という側面のある事業を主とする株式会社Egeneという会社を起業して活動しています。「ふらとぴ」が目指すビジネスモデルはこちら。

「ふらとぴ」のビジネスモデル
「ふらとぴ」のビジネスモデル

起業家の中でも、おそらく社会起業家というカテゴリに含まれる分野で活動している人間です。

「社会起業家」と聞くと、皆さんはどういうイメージを持たれるでしょうか?

チョッピー
チョッピー

よくわかんないけど社会活動に興味があるんだろうなぁ…みたいな。高校生とか大学生の頃から、NPOとかにインターンしてるみたいなイメージ。超簡単に言えば「意識高い系の極致」みたいな?

僕が前職在籍中に抱いていたイメージはこんな感じでした。実際にその存在に自分がなってみるとどうか? 全くイメージとは異なりますね。「Daily Choppy !」読者の方(チョッピスト)も「Daily Choppy !」から「意識の高さ」ってあんまり感じないのではないでしょうか。感じていたらスミマセン。

自分の中では全く意識は高くないのです。「自分が楽しく生きていけそうな場所」を探していたら、ここに辿り着いただけなので…。

チョッピー
チョッピー

だから僕ことチョッピーは「使命感」とかそういうモノ起因で動いているつもりはありません。「誰からの指示でもない、自分が心地よい活動」を求めているだけなのです。他の社会起業家の方々が何を起因として動いているのかは知りません。また、これはおそらく社会起業家どころか一般的な経営学の考え方にすら反する考え方だと思います。一般的な経営学において企業経営の根幹を為すモノは「ミッション=使命」とされているハズなので。僕が経営する株式会社Egeneにおいては「ビジョン=Make everyone happy !!」が根幹です。ミッションは存在しません。誰かからの指示で動きたくないので。それがたとえ人知を超えた存在であったとしても。

こんな人生になるなんて、ほんの数年前までは想像もしていませんでした。

チョッピー
チョッピー

「起業したい」という気持ちはずっとありましたが、まさかこんなワケのわからないビジネスで起業するとは考えてもいなかったのです。

まぁ、今の生活の充実度は前職在籍中の比ではないので結果的にはOKです。

「好きな事をしていれば稼げるハズ」はファンタジー

さて、「今の生活の充実度は前職在籍中の比ではない」と能天気な文章を書きました。これは偽らざる本心です。ただ「充実しているからそれでOK!」なのかというとそうではない。常に最悪の事態は想定しています。

チョッピー
チョッピー

最悪の事態とは?

え、そんなの聞きます? 金ですよ、金。金がなくなったらどうするか、ですよ。地獄の沙汰も金次第。金があれば人生の選択肢は広がるが、金がなければ狭まる。結局、この世界を生き抜くために大切なのは金なのだ。

チョッピー
チョッピー

社会起業家にあるまじき発言ではないか?

どうなんでしょうね。僕は全くお金の匂いのしないビジネスを行ってはいますが、お金の大切さを自覚していないワケではありません。生き抜くために必要最低限のお金は必要です。社会起業家とはいえ「起業家」なのですから、お金のことをシビアに意識するのは当然、必要な姿勢だと思っています。僕は。

チョッピー
チョッピー

まぁ、でも、アレじゃない? そんなに深刻に考えなくても好きな事をやってれば自然にお金も入ってくるんじゃないの? 「好きこそ物の上手なれ」とか言うし。

舐めた事、言ってんじゃねぇ!

チョッピー
チョッピー

うわ、怖。突然、大声を出すなんてDV気質なのでは?

これは文章なので声は出ていません。フォントを大きくして太字にしただけです。でも、怖がらせてしまったのであればスミマセン。しかし、「好きな事をやっていれば成功する」なんてファンタジーの世界のお話です。そんな言葉を信じて生きていてはいけない。僕はそう考えます。

でも、好きな事をしていたいじゃない

もちろん「好きな事をやっていてお金を稼げた人」もいるでしょう。でも、それは本当に一握りのレアケースに過ぎません。「お金を稼ぎたければ好きな事をすればいい」という主張はとんでもない天才か、ものすごく運が良い人にだけ適応できる再現性皆無の妄言だと僕は思います。

では、人はやはり「好きではない事で生きていくべき」なのか。もちろん、僕はそれも否定します。

チョッピー
チョッピー

実際、チョッピーは好き勝手な人生を選んでいるわけですからね。「金が大事」とか言っておきながら「全く金の匂いのしないビジネス」で起業するとか馬鹿なんじゃねぇの。

自分で書いておきながらアレですが辛辣すぎる。

うーん、でも、やっぱり究極的には人間はいつか死ぬわけですよ。だったら、仮に最悪の結果=一文無しになったとしても「充実していたと言える人生」を送った方が幸せなのではないでしょうか。「充実していない上に長い人生」ってツラいだけなのでは?

「充実」の条件って必ずしも「お金をたくさん稼ぐこと」では無いのではないですか?

メメント・モリ

とはいえ「お金が無くなるとキツイ」のは事実です。なので普通はお金を出来るだけ稼ぎたくなる。ただ、お金稼ぎが目的化してしまうと結局「充実していない人生」を送る事になってしまう。

チョッピー
チョッピー

じゃあ、どうすればいいのよ、マジで

結局のところ「お金を稼ぎたい」という考えの根底にあるのは「一文無しの恐怖から逃れたい」という気持ちなのではないでしょうか。僕もこの文章の最初の方で「最悪の事態=金がなくなること」と書いています。

ただ「お金がなくなること」は本当に最悪の事態なのでしょうか。なんだか違う気がします。もう少し突き詰めて考えると「お金をなくしたくない」という気持ちはつまり「一文無しと化し惨めに死にたくない」という気持ちと繋がっているのではないでしょうか。わかります。僕も別に死にたくはありません。

本当に最悪の事態は「死んでしまうこと」。それから逃れたいから人は出来るだけ多くのお金を稼ぐ。

うーん、これって合理的な思想だと思いますか? 5000兆円あったら死から逃れられます? 少なくとも今の科学力では無理ですよね。もしかしたらお金があれば寿命はいくらか延ばせるかもしれません。ただ、それもせいぜい数年から数十年の話です。結局のところ、人は死からは逃れられない。

「お金を多く稼いだところで死から逃れられるわけではない」という受け入れがたい事実を受け入れられれば「では、どうするべきか」という選択肢も広がる気がします。

本日の締め

今回は僕の考える「物事を行う際の望ましいスタンス」についてのお話を書いてみました。

今回の記事、難産でした。テーマを思い付いた時から「これは重い仕事になるな…」という自覚はありましたが挑戦してみました。結果、本文を何度も書き直すハメになりました。最終的には僕としては満足のいく文章が書けました。お楽しみ頂ければ幸いです。

本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。

当初はタイトルも本文も今回の記事とは全然違う感じのモノを想定していたのです。書いているうちに「これは”死”についての話だな…」と気付き、こんな感じの記事になりました。

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