【Daily Choppy !】第589回:「カッコいい」とはどういう事か?

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こんにちは。紅の子豚、チョッピーです。

今回の記事について

「カッコいい」とはどういう事か?
「カッコいい」とはどういう事か?

今回はチョッピーの考える「カッコよくなるための方法論」についてのお話です。

チョッピーは何故トイレで寝落ちするに至ったのか

昨日、ちょっとハードに活動しました。『Daily Choppy !』を書き終えてから1時間くらい自宅で筋トレをして、それから梅田を3時間程ウロウロしたのです。

上のツイートは阪急梅田駅のあたりを中心に阪急東通りとかをウロウロした感想です。

チョッピー
チョッピー

ユニクロのエアリズムマスクをつけてウロウロしたのでかなり息苦しかったです。「息苦しい≒通気性が悪い≒飛沫防止効果が高い」だと思うのでマスクとしては優秀なのでしょう。あと、昨日(2月21日)は少し暑かったですね。かなり汗をかきました。

そんなわけで「筋トレ&長時間の散歩」によりかなり体が疲れました。どのくらい疲れていたのかというとこれ↓くらい。

ロクでもない。

カッコいいってなんだろうな

「いつもより激しく運動したので疲れてトイレで寝てしまった」ってかなりカッコ悪いですよね。普段から「カッコよくありたい」と考えている僕にあるまじき失態です。

チョッピー
チョッピー

え、普段からカッコよくありたいと考えている…? 本当に…?

ウソです。スミマセン。盛りました。普段から「カッコよくありたい」と思ってたら、こんなサムネ↓は作りませんよね。

チョッピー
チョッピー

自分で作っておきながらアレですけど、サムネが出来上がった時には狂気を感じましたよね。

でも、ふと思ったんですけど「カッコよさ」には「なにかに突き抜けた結果、得られるカッコよさ」みたいなモノもありますよね。僕がカッコいいかどうかはさておき。

チョッピー
チョッピー

少なくとも上のサムネはカッコよくないよ

そうね。確かにそうだけど、オーバーキルは止めろ

「カッコつけ」って恰好よくないよね

上の文章を書いている時に感じたのですけど、自分のアウトプットに対して「カッコいいかどうか」を論じるのって恰好悪いですよね。特に上の文章では「このサムネには突き抜けた狂気があるかないか」みたいな、いわゆる中二病的な痛さがあります。

チョッピー
チョッピー

「自分に対する評価」は基本的に他人が決めるモノだから、それに対して「自分はこう思う」をグダグダと述べるのは格好よくないんでしょうね。

そう、「自分に対する評価」を外に出すのってあんまり格好良くない気がするんですよ。「自意識」が感じられるとダメなんでしょうね。「30年前に自分が作った作品」みたいな「すでに今の自分とはかけ離れているアウトプット」とかに対する評価であれば「自意識」を感じないのでカッコ悪さも感じないような気もするのですが。

「カッコつけてる人」ってあんまりカッコよくない気がするんですけど、それも同じ理由な気がします。「この人、こういう格好・しぐさ・行動・発言がカッコいいと思ってるんだろうな…」と思われた瞬間、その人のカッコよさは消え失せてしまうのではないか。

「カッコよくなろう」と思わないとカッコよくならない気もする

「カッコつけてる人」ってカッコよくない。「そうでありたい姿」が(他者からも)イメージできるのに実際はそうなっていない…というギャップがそうさせるのかもしれません。これってなかなか残酷な話ですよね。

「カッコよさ」には外見・内面・行動など色々な要素があると思うのですが、どの要素にも「生まれながらにカッコいい人」っていますよね。外見はわかりやすいですが、内面が最初からカッコいい人もいる気がしますし、行動面でもそうですね。「特に努力しなくてもカッコいい行動が出来る人」はいます。

チョッピー
チョッピー

「天性の才能」ってヤツですね。足が速いとか歌が上手いとか絵が上手とかスポーツが得意…とか。体のつくりがそれぞれ違う以上、絶対的な向き不向きはどうしても存在すると思います。

でも、そうではない人って「カッコよくなろう」として努力したりテクニックを身に着けたり時の運を味方につけないとカッコよくなれないわけです。ただ、それをやっていると他人から「自意識が感じられてカッコ悪い」とか言われちゃう。

つまり「カッコよくありたい」と考えて行動してしまったばっかりに、何もしていない時よりもカッコ悪くみられてしまうんですよね。

求めているモノから離れなければ求めるモノは手に入らない。最終的に手に入れられる保証もない。これはなかなか残酷な話です。

でも、個人的には「カッコよくなりたいと思うのであれば、カッコつけるべき」だと思います。最終的に本当に格好よくなれるのかはわかりません。見た目には格好悪いままかもしれませんし、行動の結果も伴わないかもしれません。「自意識が強すぎて笑う」とか言われるかもしれませんね。

ただ、それでも「自分の思うカッコよさ」に対して邁進するその内面は格好いいモノであると言えると思います。少なくとも僕はそう感じます。

格好いい人でありたいモノですね。

本日の締め

今回は僕の考える「カッコよくなるための方法論」についてのお話を書いてみました。

今回の記事、文中に「カッコいい」と「格好いい」の両方が使われています。「カッコ悪い」もあります。ミスではなく意図的なモノです。ニュアンスの違いを伝えたくて。

成功しているかどうかはわかりませんが「ニュアンスの違いを伝えるために表記を変える」というテクニックに挑戦してみました。僕も駆け出しではありますが、文章を(無料の)商品として活用している人間です。常に文章力は向上させていかなければいけないと思っています。

読者に「カッコよくあろうぜ!」と言うのであれば、まずは自分が実践しないといけませんよね。僕の考える格好良さとはそういうモノです。

本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。

ちなみに見た目としてはムキムキマッチョマンがカッコいいなぁ…と感じています。

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