【Daily Choppy !】第633回:就きたい職業が無い人の就活法

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こんにちは。自己否定マン、チョッピーです。

就きたい職業が無い人の就活法
就きたい職業が無い人の就活法

就きたい職業に就く方法

昨日「就きたい職業に就く方法」というタイトルの記事を書いた。

こちらの記事の要旨は「就きたい職業があるなら、その仕事内容が必須とされる場を作ってしまえばいいのでは?」だ。

まぁ、なんというか一般的な就職のアドバイスではない気がする。そもそも就職を勧めていない。真面目な大学生などからは「そうじゃないんだよな」と言われてしまいそうな内容だと思う。

今日はさらに「こいつ何を言っているんだ?」という内容のお話をしてみたいと思う。ズバリ「就きたい職業という発想自体、別にいらない」というモノだ。

チョッピー
チョッピー

前回の記事の前提を否定するなんて…。マジで何を言っているのかよくわからん。

説明しよう!

「なりたい」とは?

「将来、何になりたい?」という質問がある。お子様に対しては定番と言える質問なのではないだろうか。だが、実は僕はこの質問を誰かにされた記憶がない。

チョッピー
チョッピー

定番と言っておきながら自分は訊かれた記憶がないとは…。舌の根も乾かぬうちに自分の発言を否定する男、チョッピー。

誰かに訊かれた記憶がないからなのかどうかはわからないが、僕はこの質問に強い違和感を感じる。

「何になりたい?」とはどういう意味なのだろうか? 子供がなるものなんて大人以外にないと思うのだが。

それとも僕が知らないだけで、実は将来、犬になれる人間がいるのだろうか? 猫になれる人間がいる? レモンになれる人間がいる? パソコンは? スマホは? 歌は?

チョッピー
チョッピー

さすがにイチャモンすぎる。普通に考えて「何になりたいのか?」って「どういう職業に就きたいのか?」という意味でしょう。

まぁ、そうなのだろうけれど…。その意味だとしても違和感がある。「将来、何の職業に就きたいか」なんて子供や、その親にとって重要な話なのだろうか。

職業は目的なのか手段なのか

もちろん「将来、何の職業に就くか」に重きを置く方もいらっしゃるのだとは思う。

たとえば創作の世界においてはよく「医者の家」が出てくる。大体、主人公は息子。で、主人公たる息子は父親・母親から「医者になれ~医者になるのだ~」という期待、もしくは呪詛をかけられている。それから、なんやかんやあって最終的に息子は医者とは違う道を選ぶ。

この物語における「職業」は父親・母親・息子の全員にとって到達すべき「目的」となっている。父親・母親が設定した「医者」という目的とは異なる目的を選ぶ息子に対して、物語の閲覧者は「呪縛を打ち破り、自らの人生を歩む強さと成長」を感じてカタルシスを得るわけだ。

この物語に出てくる両親や息子に似た考え・特性を持つ方々にとっては職業は目的となるのだろう。その場合、確かに職業は「なるもの」であり「将来、何になりたい?」という質問にも繋がる気はする。

でも、職業って必ずしも「目的」になり得るモノではないと思う。

成したいモノや、やりたい事を起点に考える方法もある

たとえば僕には昔から「就きたい職業」というモノはなかった。だから大学2年生の終わりくらいの時に困り果てた。

「そろそろ就職活動を始めなければいけない気がするが、就きたい職業なんてないぞ…」という状態に陥ってしまったわけだ。

というか、そもそも働きたくなかった。誰かから命じられて労働に従事するなんて、まっぴら御免だった。実際「刑務所で人生を送るのと会社で働くの、どちらがマシか」を考えた事もある。最終的には「どこかの会社に入社して生きるのが一番マシであろう」という結論に行きついた。

チョッピー
チョッピー

マトモな結論を導き出せて本当に良かった

ただ、やっぱり僕には「就きたい職業」なんてなかった。仕方ないので「どういう社会を作りたいか」を考えてみた。で、最終的にそれを実現するのに向いていそうだと思えたシステムエンジニアとして会社に入社した。

つまり僕にとって職業とは「目的」ではなく「手段」なのだ。目的は「実現したい社会」そのもの。今もこの考えは変わっていない。

チョッピー
チョッピー

ちなみに今のチョッピーの実現したい社会に関して知りたい方はこちらのページをご参照ください。

僕と同じようなタイプの人は「将来、何になりたい?」という質問に違和感を感じると思う。その様な人は「将来、何を成したいか?」や「将来、何をやりたいか?」を考えると良いのではないだろうか。

それを実現するための手段として職業を捉えれば、「どの職業に就けばよいか」も論理的に導き出せるのではないかと思う。

その場合、職業は「就きたい職業」ではなく「就くべき職業」となる。職業を探す場合に、必ずしも「就きたい職業」を見付けだす必要はない。

本日の締め

今回は僕の考える「就きたい職業が無い人のお仕事の見付け方」を書いてみました。

どうも世の中には職業を「目的」と捉えているのではないかと思われる主張が多いように思えます。でも僕にとっては職業なんて目的でもなんでもない。ただの手段に過ぎません。

この様な観点からの職業の探し方があってもいいんじゃないかな、と思います。

本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。

僕にとって職業は目的ではなく手段なので独立しちゃったのかもしれない。

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