【ど素人店長、ネットショップでさをり織りの布を売る】第5回:私はなぜさをりを売っているのかを考えた

ど素人店長、ネットショップでさをり織りの布を売る - アイキャッチど素人店長、ネットショップでさをり織りの布を売る

前回、裁縫の楽しさを語る長ーい文章を書いたところ、編集担当のチョッピーさんからコメントをいただいた。
「ハンドメイドの楽しさを伝えたいだけなら、とくにさをりである必要はないとも言えます。どうしてさをりなんでしょう?」

この「どうして?」という問いに答えられず、ずっと悩んで数か月過ぎてしまった。

今思えば、たぶん、チョッピーさんは「さをりを使うことのメリットや、さをりが好きな理由」を語りやすいようにお膳立てしてくれていたのだと思う。だが、私にはこの「どうして?」が、「障害を持つ方が織ったさをりを販売する大義名分があなたにあるのか?」と問われているような気がしてしまったのだ。

大義名分とは、Weblio辞書の記述を要約すると『行動のよりどころとなる正当な理由や道理。また、事を起こすにあたっての根拠。建前としての理由づけ』と書いてある。

つまり、「身内に同様の障害を持つ人がいてやらずにいられない」とか「個人にできる社会変革の方法を考え抜いた結果がここだった」とか、そういった「私が関わる必然性を感じられる理由」を述べなくてはいけないのかと思い込んでいたのである。

ではなぜ、そのように思い込んでしまったのかというと、たまたま過去に「有無を言わせぬ大義名分が私にあればなぁ」と思ってしまった出来事があったからだ。

これまでいろんなところで「障害を持つ人が織った」というキャッチコピーとともにさをり製品を紹介してきたのだが、その際に否定的なメッセージをもらうことが度々あった。一番多かったのは「それいる?」という声だ。「それ」というのは、「障害を持つ人が織った」というフレーズのことだ。

そのフレーズを使うということは、あなたは「障害のない人が織った作品」と「障害がある人が織った作品」を、心の奥で差別しているにちがいない。差別する心が無ければ、同じ土俵で販売できるはず。そうではなく、障害を持つ人が織ったということで手加減してもらおうという心が透けて見える。つまり、同じ土俵で争うことを最初から放棄して、かわいそうな人達の商品を買ってくださいと言っているようで気持ち悪い。そんな偽善的な行為を見せつけられるのは不快だ。

……というのが、その方々に共通する主張だった。

ここで「その方々ときちんと対話して、お互いの主張を聞き合い、平和に昇華できました」という展開になると美しいのだけれど、そうはならなかった。私はその方々を怖い、近づきたくないと思ったので。

わざわざ知らない私に「不快だ」とメッセージを送りつけてくる、そのスルーできなさに、かなりビビった。次は何をされるのだろうかと身構えてしまった。

そこで、私は丁寧に向き合って理解を求める代わりに、自分がいかにこの仕事をするにふさわしいのかという大義名分を得ることを求めてしまったのだった。立派で、けちのつけようがないお題目があれば、誰からも文句を言われずに障害支援のECサイト運営ができるんじゃないかと、権威付けに走ったのである。

そんなわけで、必死に権威を求めていたところに「どうしてさをりなんでしょう?」と問われ、ますます大義名分探しに躍起になってしまったという訳なのだった。

けれど、そんな文章は、書いても書いても嘘くさい。ご立派な理由が自分にあるとは思えない。記憶にある最も過去のエピソードまでほじくり返してみたけれど、どこにも私がやらねばならぬわけなど存在しなかった。

で。
大義名分は捨てることにした。
私には、さをりを売らねばならぬ理由などない。
開き直った後に「どうしてさをりなのか?」をシンプルに再考してみたのがこの原稿である。前置きが長く、暗く、雪国に向かう国境のトンネルみたいになってしまって申し訳ない。ここから南国に向かうのでもう少しお付き合いよろしく。

さをりはもともとの布がとにかくかわいい

さをり織りの布
「ど素人店長、ネットショップでさをり織りの布を売る」の第5回で利用する画像です。

最初にお伝えしたいのは、とにかく、障害を持つ方が織られるさをりの可愛さだ。カラフルの一言に尽きる。
どういう理由でそうなるのかわからないが、織物作家さんが織るさをりとは色使いが全然違う。全国の施設を見て回ったわけではないので正確なところはわからないが、ネット販売している作業所のさをりを見る限り、彩度の高いくっきりした色ばかりが使われている。コースタ814の作家Sさんもそうだ。

私は最初、あの複雑な機織り工程を全部、知的障害のあるSさんが行なっているとは思っていなかった。難し過ぎてできないだろうと思っていたのだ。縦糸を張り、使う糸の色を選ぶところまではお母さんが行い、横糸を通す単純作業だけ、Sさんに任されているのかと思っていた。だから、あの色遣いはお母さんの好みなのだろうと考えていたのである。ところが、実際は縦糸を張るのも、糸の色選びも、全部、Sさんご本人が手がけていらっしゃるというではないか。(縦糸張りがどれくらい難しくて大変な作業かというと、実際見てもらう方がわかりやすいかと思うので、解説動画のリンクを貼る。こちらは、裂き織り作家のnaonaoさんの動画だが、縦糸の張り方はさをりとほぼ同じなので、複雑さが理解していただけるのではないだろうか)

上の写真のようなカラフルな色づかいも、すべてSさんの選択の結果だった。誰かに指示されたわけではなく、その時「これがいい!」と思った心が反映されているのがさをりだったのだ。この色彩感覚は、真似しようと思ってできるものではないと思う。というか、私にはできない。そこがすごい。

さをり織り機

あと、もう一つ惹かれるのはその意図のなさだ。ハンドメイド作家さんの機織りは、最初にある程度「こういうものを作りたい」という目標地点があって、その通りに織っているのだと思うのだが、障害を持っている方々の作品には、「最終的にはこうしたい」という企画意図のようなものがないように思われる。その時々、食べたもの、見た景色、起こった出来事、などなどから生まれる感情や思考をそのまま織っているように見えるのだ。だから、どれも再現性がない一点ものばかりになる。「その時」は一回しかないから、当たり前といえば当たり前なのだが。

その時「これだ!」と感じた糸を使い、色をつないでいったのだろう。気持ちの赴くままに完成させた織物の自由さが素敵だ。鮮やかなのに、色同士がけんかせず、見ているだけで心が軽くなる。

さをりは初心者が適当に作品に仕立ててもかわいい

そうやって生まれたさをり布は、何を作ってもとにかく可愛い! 販売を始めて作品サンプルを作るようになってからそれがわかった。色合わせなどのむつかしいことを考えなくても、どうやっても可愛く仕上がる。つまり、裁縫初心者であっても、それなりのものが作れてしまうのだ。初心者は、最初に挫折するとその先が続かない。こわごわスタートして、出だしで躓いたら、そりゃあ、その道を歩こうという気力も無くなる。その点、さをりなら多少失敗しても、縫い目が汚くても「それも味だよねえ」と思えてしまうほどかわいいものができるから挫折がない。初めて自分で手芸作品を作るのに、こんなに適した素材はほかにないと思う。中学時代ミシンクラッシャーと呼ばれた裁縫が超苦手な私が、ミシンを買おうと思うまでに至ったのは、さをりと出会ったからだ。

さをり織り作品
さをり織り作品
さをり織り作品

さらに、他の織り手の皆さんはどうなのかわからないが、Sさんのさをりは、糸を複数本束ねて織っていることが多いので、生地に厚みがあり立体的な形が作りやすく、冬は暖かくて防寒具としても使いやすい。そして、下の写真を見ていただければわかるように、裏に貼るフリースをどんな色にしてもマッチする。必ず織り糸の中に似たような色が含まれているため、配色を考えなくてもバランスがとれてしまうのだ。

さをり織り作品
さをり織り作品
さをり織り作品

今Sさんは、節約のために端糸を集めて結び、一本の長い糸にして織っている。捨てられるはずの糸をリサイクルして使っている状態だ。

糸
糸

そのため、ところどころつないだ糸が飛び出している個所がある。だが、織り目が飛んでいても、糸が飛び出していても、Sさんのさをりにしかない味だと思えば、これまた可愛くてたまらない。

機織りという作業が障害特性に向いている

Sさんの特性がどんなものなのか、私は実はよく知らないので一般論で申し上げるのだが。

障害を持つ方々が働くB型作業所には、利用者さんの中に自閉症を持つ方が多いように思う。そして、自閉症の利用者さんが多い作業所では、さをり織りを作業の一つに取り入れているところがこれまた多い。かつて住んでいた街にも、さをり織り製品を作っている作業所があった。敦賀にもあるし、お隣の町にもある。たぶん、知らないだけで、どの街にも一つはあるんじゃないかと思うくらいポピュラーだ。

その理由としてあげられるのは、「同一性保持」と言われる、自閉症の方々の特性である。臨機応変が苦手で、決められた行動様式にのっとって行動することが得意な彼らは、一度覚えた手順を逸脱することが苦手だ。複雑な工程も覚えてしまえば、繰り返すことができる。まさに特性を生かした作業だと思う。

単純作業がどんどん機械化されて、そういう繰り返し作業を仕事として請け負う場面が極端に少なくなった現代で、特性を活かして働けるのが「さをり織り」なのではないかと思う。

「さをり織り」を販売することで、障害を持つ人たちの稼げるルートが増える。それがきちんと収益化できれば国庫の負担も減り一石二鳥。

実際はそんなことまで考えているわけではないけれど、自分のことを振り返っても、仕事をして自分で稼ぐ喜びと自信は、無いよりはあった方が心が健康に暮らせる。

そして、どうせ働くなら適材適所、好きなことで、できることをした方がご本人も支援する人たちも、絶対楽しいはずだ。だから、私はさをりを織る人たちを応援したいのである。

さをりを適正な価格で売りたい

SDGsが世界的な潮流となり、チョコレートやコーヒーのフェアトレードに関心を持つ方々も増えてきたように思う。最貧国に生まれ落ち教育の機会すら奪われ、朝から夜まで働く子どもたちを、コーヒー農園やチョコレート農園から解放したいというその気持ちはとてもとても尊く、ぜひ大切にしてほしいし私も大事にしたい。

そこからさらに、自国で時給200円台で働く人たちのことにも目を向けてもらえたらと思う。いい年した大人が時給222円なのだ。最低時給1000円を目指す国で、222円なのだ。リッチな小学生のお年玉の方がはるかに多い。それはフェアと言えるのだろうか。

なんてことを書くとまた、「この偽善者め」と言われそうなのだけれど、「為さぬ善より為す偽善」というではないか。電車の中でもじもじと悩んだ末に、腰の曲がったお爺ちゃんの前で寝たふりして座り続けるよりも、「こちらに座ってください!」と元気よく言って空振りする方が、あとあと自分が恥ずかしくならないで済む。少なくとも、何もしなければ、おじいちゃんの腰は痛いままだし、私の心もずきずき痛いのに、一言「座ってください」と言えれば、心の痛みは消える。それだけでもずいぶんお得じゃないか。「為さぬ善より為す偽善」とは、そっちの方がお得だよって意味だと思っている。私にとってさをりを売ることは、時給222円で働く人を目の前にして何もしないことより、ずっとお得なことなのだ。

最後に。うちのSさんは、コースタ814の売り上げで、ブックオフに少女漫画の古本を買いに行くのを楽しみにしている。Sさんは実は、りぼん、なかよしが愛読書で、乙女チックで可愛いものが大好きなのだ。「彼女のささやかな喜びが続きますように」という、これまたささやかな願いが、「なぜさをりなのか」という問いに対する私なりの答えだったりする。誰だってそうだと思うけれど、他人が喜んでくれることは、やっぱりうれしいことなのだ。

ぢーこ運営ECサイト:コースタ814

コースタ814 / 手芸材料としてのさをり布を売るお店 powered by BASE
障害をお持ちの方が織っている「さをり織り」を販売代行しております。自分で一から織ろうと思うと、織機も糸もけっこう高額なさをり織りの布を気軽にハンドメイドで使えるように販売中です。

コースタ814は、もともと仕入れている数が少ないので、月末が近づくと、在庫がないことがよくあります。申し訳ありませんが、そんな時は布を見るだけでお楽しみください。

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