【僕の感想】第4回:映画「トイ・ストーリー4」

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人は何かの役割を与えられたとき、命を吹き込まれる

本作では既存のトイ・ストーリーシリーズの根底に流れているテーマ「おもちゃは人を喜ばすために存在し、それこそがおもちゃの最大の幸せである」を「おもちゃの役割」とし「それを与えられたとき、おもちゃは命を得る」という描写を行っています。
それを体現しているのがフォーキーであり、映画の最後の最後に登場する新しいオモチャです。

ラスト10秒の新しいオモチャの発言は衝撃的です。
なんと言っても「どうして生きてるの?」ですから。

僕ね、トイ・ストーリーシリーズでおもちゃが生きているのって「そういう世界だから」だと思い込んでましたよ。この20年ほど、ずっと。この前提を、まさか映画の最後の最後に出てくる新キャラに問い直されるなんて。

しかも、この発言が出てくる直前、後述するようにウッディは本作の新しいテーマに従い「今まであれば選ばなかったであろう判断」をしているわけです。トイ・ストーリーに思い入れがある観客であればあるほど、この展開に関して色々と思うところがあるハズです。
そんな混乱した頭で観ている時に、直球ストレートでトイ・ストーリーシリーズの大前提をポッと出の新キャラがぶっこんでくるなんて…。

フォーキーの存在は本作において極めて示唆的です。

彼は先割れスプーンをメインとして、その他、ガラクタの寄せ集めでボニーによって形作られた、まぁ、一般的に言えば「ゴミ」です。それは彼自身も深く自認しており、ストーリーの序盤、彼は自らを「ゴミ」だと述べ、自らゴミ箱に入ろうとします。

しかしながら、彼はゴミではありません。おもちゃです。何故か?
それはボニーが彼の事をおもちゃとして認識しており、彼におもちゃとしての役割を期待しているからです。だからこそ、彼は「ゴミ」ではなく「おもちゃ」として命を与えられたのです。

自分自身のそんな役割をウッディから説明されたフォーキーは、自らの役割を認識し、ボニーの元へ帰ろうとします。一方、ウッディはフォーキーに「それはとてもラッキーな事なんだぞ」と語ります。何故か。それは彼自身が、現在、誰にもおもちゃとしての役割を期待されていないからです。

役割を終えても、人生は続く

トイ・ストーリー4において、ウッディはおもちゃとしての役割を持ち主であるボニーに期待されていません。この事に対して「なんで!? 3のラストでボニーはウッディと楽しそうに遊んでたじゃん! だからこそアンディはボニーにおもちゃを譲ったんだぞ!!??」という意見もあると思いますが、僕はここは非常にリアルな描写であるかな…と思いました。

人は心変わりする生き物です。子供であればなおさらです。
もらった直後は嬉しくても、その翌日、いや、その数時間後には嬉しくなくなってしまう事だってあるでしょう。それは誰にだって、何にだって起こり得る、普通の事であるように思えます。
たまたま、ボニーにとって、ウッディはそれほど魅力的なおもちゃではなかったのでしょう。それは仕方ない事です。アンディは比較的おもちゃを大切にする子供でしたが、それでも、ウッディと比べると大切とは言えないおもちゃがいた事と同じです。

そんなわけで今作のウッディはおもちゃとしての役割を果たせていません。
それはウッディ自身も自覚しており、彼自身、彼をおもちゃとして必要としてくれたアンディの影をいまだにボニーに投影してしまっています。それは、ウッディがフォーキーにおもちゃとしての役割を説くシーンで、彼自身がボニーの事を「アンディ」と口走ってしまった事からも容易に読み取れます。ウッディとフォーキーの会話のシーンは「今まさに役割を与えられたモノ」と「役割を果たしたモノ」の世代交代とも言えるシーンであるわけです。

ウッディは本作において、もう、果たすべき役割を持っていません。
しかしながら、本作においてウッディはただのモノにはならない。彼は役割を完遂してもなお、まだ、この世に生を受けています。「役割を終えても、人生は続く」のです。僕はこれこそが、本作を貫く第2のテーマだと感じています。

本作ではウッディーと同じ様な存在としてボーが登場します。
彼女は、本来の役割を早々と終え、第二の人生を生きている。彼女は役割を終えてから、そこに至るまでの間に数年の月日を過ごしています。その間に彼女自身の中に「やりたいこと」が溜まっていった。だからこそ、アンティークショップから脱出したのです。それはまさに「Let It Go」でしょう。「Let It Go」の果てに自分の人生を生き始めた者は強い。だから、本作のボーは強いのです。

一方、ウッディは彼女ほど思い切りが良い状態ではありません。
ウッディはまだおもちゃとしての人生に未練がある。しかしながら、それを果たす事は出来ない。
ウッディと完全に同じ状況にあるのは、今回の敵役である「ギャビー・ギャビー」です。

彼女は求めていた持ち主から拒絶されたのち、新しい持ち主を探し、おもちゃとしての役割を再度、得ようとします。しかし、ウッディはその道は選びません。彼はボーと共に生きる道を選びます。「役割を終えても、人生は続く」そして「その後の人生の歩き方は、自分で選べる」のです。

僕には、今作のウッディとボーはリタイア世代の夫婦のメタファーである様に思えました。
イメージとしては退職直後の夫と、子育てを少し前に終えた妻…みたいな家庭に類似性が強いのでしょうか。彼らが残りの人生…映画に登場したお店の名前を借りれば「セカンドチャンス」をどう生きていくのかは、彼らの決断次第です。本作は、そんな事を観客に強く訴えかけている映画である様に思えました。

以上です。

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