【Daily Choppy !】第138回:”不快な表現”の存在価値について

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こんにちは。チョッピーです。

最近、ネット上で表現の自由に関する議論を目にする事が多いです。
それに関して個人的な考えを述べてみようかな…と思います。

“表現の自由”を保障すべきと考える理由について

まず、僕は自分自身が表現をしている事もあり「表現の自由」は100%保障されるべきだと考えています。「不快だから」とか「不道徳だから」をはじめとする諸々の理由で、それを社会的に制限するべきではありません。

その理由は以下の2つです。

  1. 表現を制限される事は表現者にとって耐えがたいほどの苦痛をもたらすため
  2. あらゆる表現は、それを受ける者にとって有益であり社会的の発展を促す可能性があるため

「1」は表現者側から見た場合の表現の自由を保障すべき理由です。これは他の権利の侵害が許容されない理由と同じ理屈ですので、これ以上、詳細に述べる事はしません。(なお僕は「権利の侵害が許容される場合」とは唯一「公共の福祉に反する場合」のみという認識であり「表現の自由の侵害が許容される場合」も唯一「公共の福祉に反する場合」のみと考えています)

対して「2」は表現を受ける側から見た表現の自由を保障すべき理由です。こちらに関して少し僕の考えを述べていきます。

あらゆる表現は、それを受ける者にとって有益であり社会的の発展を促す可能性がある

あらゆる表現は、それを受ける者に対して以下の3つの作用をもたらすと考えられます。

  1. 快適
  2. 不快
  3. 変化なし

ここで「1」の作用をもたらす表現に関しては有益である事に疑いの余地は無いと思います。
それを味わうと「快適」なわけですから、当然、有益でしょう。

問題は「2」と「3」の作用を与える表現です。
「3」はともかくとして「2」の作用を与える表現も「有益」だと言えるのでしょうか。

これに対してはさらに2つの観点から考える事が出来るでしょう。

  1. ある表現に対して「快適」「不快」「変化なし」のどの作用を受けるかは人によって異なるため
  2. 「不快」な表現でも、それを有益なモノにするための活用方法があるため

それぞれ個別に説明します。

ある表現に対して「快適」「不快」「変化なし」のどの作用を受けるかは人によって異なる

「1」の観点から考えると、表現の受け手にとって表現の自由を保障すべき理由は以下になります。

  • 誰かにとって無益もしくは有害な表現でも、他の誰かにとっては有益な可能性があるため

この場合、その表現を受ける事により「2」や「3」の作用を受ける人にとっての最善策は「その表現を受けない様にする」です。表現の自由を侵害せずに個人でそれを実現する方法は「その表現を避ける」になり、社会的にそれを実現するための方法は「ゾーニング」や「レーティング」となるでしょう。これらの策を実施すれば表現の自由を侵害することなく、自らの不利益を避ける事が出来ます。

しかしながら、上記で記載した方法は表現に対しての消極的な対応方法である様に僕には感じられます。あらゆる表現は、表現者の思想・信条、いいかえれば人生が濃縮されていると言ってもよいモノなので、可能であるならば積極的にそれらを活用し、自分の糧にした方がよいのではないかと思います。

「不快」な表現でも、それを有益なモノにするための活用方法がある

「不快な表現」を自分にとって「有益なモノ」にする方法などあるのでしょうか。

あります。端的に述べましょう。
「なぜ自分は、この表現を不快に感じたのか?」を考えればよいだけです。

そうする事により表現の受け手は自分の思想・信条に対して、その表現を受ける前に比べて少し自覚的になれます。つまりあらゆる表現は自分との対話のためのツールとして活用できるのです。

自分の思想・信条に対して自覚的になれれば、そうでない場合と比べて、人生の選択において自分に有益な方を選べる可能性が増すでしょう。自分が不快だと感じた表現に含まれている要素が少ない方を選べばいいのです。その選択を繰り返していけば「不快なモノを味わう回数が少ない人生」を送れる可能性が増すと思います。それは幸せな人生呼べるのではないでしょうか。また、社会全体として、その様な人が増えていけば、社会全体の幸福度が増加し、その社会は、それ以前と比べて社会的に発展したと言えるでしょう。

まとめ

以上が僕が”表現の自由”を保障すべきと考える理由です。
この内容はセンシティブなので言及にはリスクが伴うとは思うのですが「ふらとぴ」という表現媒体を運営している人間としては、考えを表明するべきかな、と思い、記事にしてみました。

なお僕はこの記事で書いたように「あらゆる表現は保障されるべき」と考えているのですが「ふらとぴ」における記事には一定の掲載基準があり、どの様な表現でも掲載可能というわけではありません。これは「ふらとぴ」の方向性を維持するために必要な施策です。ただし、ふらとぴクリエイターが「ふらとぴ」以外の媒体において表現を行う場合には、当然ながら何の制約もありません。この方針により「ふらとぴ」ではクリエイターによる表現の自由を保障していると考えています。

本日もふらとぴに訪問頂きありがとうございます。

僕、こういう内容を考えるの、好きです。

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