【Daily Choppy !】第1012回:有益で危険

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こんにちは。牛丼好き、チョッピーです。

有益で危険
有益で危険

そもそも田舎でも売っていると思うのだが

先日、株式会社吉野家がとあるお詫びの文章を発表した。

株式会社吉野家常務取締役企画本部長が、4 月 16 日に開催された外部における社会人向け講座にて講師として登壇した際に、不適切な発言をしたことで、講座受講者と主催者の皆様、吉野家をご愛用いただいているお客様に対して多大なるご迷惑とご不快な思いをさせたことに対し、深くお詫び申し上げます。大変申し訳ございませんでした。

当社役員の不適切発言についてのお詫び|株式会社吉野家ホールディングス

上のお詫び文で言うところの『不適切な発言』の具体的な内容についてはご存じの方も多いと思う。

ご存じでない方は Business Insider Japan の『吉野家「生娘をシャブ漬け戦略」抗議した受講生が詳細語る。「教室で笑い起きた」』という記事に詳細が書かれているので、こちらを参考にして頂ければ幸いだ。

吉野家「生娘をシャブ漬け戦略」抗議した受講生が詳細語る。「教室で笑い起きた」
吉野家の役員が自社のマーケティングを「生娘をシャブ漬け戦略」などと話したことについて、吉野家及び早稲田大学が謝罪しました。一連の発端になったのはSNSの投稿です。抗議した人に話を聞きました。

こちらの発言は当然ながら大炎上を招いた。

チョッピー
チョッピー

自社製品を違法薬物にたとえたり、自社のユーザを『生娘』と表現したりすれば、そりゃ炎上しますよね。不快ですもの。

ただ「若いうちに自社商品の味を覚えてもらい、成長してからも継続的に来店してもらう」という戦略自体は、特に目新しくもない有名なモノである。

たとえば日本マクドナルドの創業者、藤田田は「人間は12歳までに食べてきたものを一生食べ続ける」と語ったと言われており、その考えは「ハッピーセット」などの子供向け商品として具現化されているとも言われている。

asahi.com:味覚のデータベースは子ども時代に作られる - 食
 ワインを楽しむ時、格付けなどのウンチクは知る必要はあまりないと思うが、複雑な味わいを楽しむための味覚、華やかで多重性のある香りを探すための嗅覚は、優れていた方がいいだろう。この味覚と嗅覚とりわけ味覚

この「人間は12歳までに食べてきたものを一生食べ続ける」という考えは一般的に「味の刷り込み」と言われている。

チョッピー
チョッピー

なお、この「味の刷り込み」の存在が科学的に証明されているのかどうかを僕は知りません。不勉強で申し訳ない。

この「味の刷り込み」と吉野家のお詫び文で言うところの『不適切な発言』は、同じ内容を指しているように僕には思える。

にも関わらず一方は経営哲学として肯定的に受け止められており、一方は大炎上を招いた。

この件は「適切な表現を選ぶこと」の大切さがよくわかる事例だと言えそうだ。

なんかそういうデータあるんですか?

最近は少し下火になったような気がするが、少し前に、とにかく「論破」が流行った時期があった気がする。

一方、僕が大学生になった頃…つまり今から18年ほど前には「日本人はディベートが苦手」と言われていた。

チョッピー
チョッピー

もちろん、それには「(だからダメだ)」というニュアンスが含まれていました。ニュアンスと言うか、直接「だからダメだ」と言っている方も多くいた気がします。

そんな時代を知る者からすれば、論破…つまりは「ディベート(討議)における勝利」を表す言葉が流行るようになるなんて…いやはや、隔世の感を禁じ得ない。

ただ、よく考えれば昔から「ディベート」を題材にしたコンテンツは存在していた。

具体的には『朝まで生テレビ!』とか『真剣10代しゃべり場』とか。

もしかしたら日本人は「ディベート(に参加するの)は苦手」だが「ディベート自体は好き」なのかもしれない。

チョッピー
チョッピー

なお、例に挙げておきながら申し訳ないのですが、僕はどちらの番組もマトモに観た事がありません。ちなみに『真剣10代しゃべり場』は2006年に終了しているのですが、5月6日の午後10時45分から16年ぶりに一夜限りの復活を遂げるようです。興味のある方は是非ご覧下さい。

目的が違う

ディベート(討論)は「勝敗をつけること」を目的としている。

その目的から考えると、ディベートは「言葉の格闘技」とも言えるのかもしれない。

格闘技であるので、競技・エンタメとして味わう分には大変、面白い。また、論理的思考力・表現力などのトレーニングとしての価値も高いのかもしれない。

ただ、その結果として「なにかしらの有意義な結論」や「共感」などは導き出されない。

ディベートはそれを目的としていないからだ。

複数人で「なにかしらの有意義な結論」を導き出したいのであれば、議論をする必要がある。

また、誰かの「共感」を導き出したいのであれば、対話が必要だ。

その扱いには細心の注意が必要です

「ディベート(討議)」も「議論」も「対話」も、どれも全て会話ではある。だが、その目的はそれぞれ違う。

目的が違うので、そこで使われる言葉も自然と異なってくるハズだ。

ディベート(討議)においては論理的整合性を作り上げるための言葉や、相手の不備を突くための言葉が必要とされるだろうし、議論においては相手の意見をさらに発展させるための言葉が必要とされるだろう。対話においては、感情を乗せるための言葉が適しているのかもしれない。

言葉は、なにかしらの「意味」を相手に伝えるためのツールだ。

しかしながら「意味」さえ通じれば、どの様な言葉を選択しても良いわけではない。

その言葉を発する場、目的をしっかりと考えた上で、ひとつひとつの言葉を丁寧に選んでいかなければいけない。

さもなければ目的も果たせないだろうし、場合によってはせっかく築き上げた地位すら一瞬で失う憂き目にすらあいかねない。

本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。

ことわざに「馬鹿とハサミは使いよう」とありますが、言葉も、同じようなモノなのかもしれませんね。修辞学でも勉強してみようかな…。

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