【Daily Choppy !】第759回:自責 VS 他責

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こんにちは。スーパーメランコリスト、チョッピーです。

自責 VS 他責
自責 VS 他責

全ては時の運

昨日、僕なりの「継続するためのコツ」を書いた。

内容を端的にお伝えすると「継続を目的達成のための手段として捉えるとツラくなる。継続の結果、なにかしらの成果を得たいのであれば、継続それ自体を目的と捉えるのが大切だ」となる。

継続は必ずしも成果を伴うとは限らないからだ。また、99日継続しても得られないモノが100日目に得られる可能性もある。

そのため何かを継続している時には「この継続は無駄なのでは…」などと思わずに「とにかく継続する事が大事!」と信じ込むのが大切なのだ。

だが、結局のところ何かを継続したところで必ずしも望み通りの結果を得られるとは限らない。

例えば先日、閉会したオリンピック。同一種目で金メダルの栄光に輝くのは基本的に一人、もしくは1チームだ。

だからと言って銀メダル以下の成績の選手・チームに「能力・努力が足りなかった」と言えるのだろうか?

勝負は時の運だ。

その結果をもって、能力に優劣をつける事は出来ないし、努力の多寡を計る事も出来ない。

チョッピー
チョッピー

…とチョッピーは考えています。

自責と他責

さて、ここまでの文章を読んで

抗議マン
抗議マン

成果から能力の優劣や努力の多寡を計る事が出来ない? そんなワケがあるか!! 成果が伴わないのは全て自分の努力不足が招いた結果だ! 他責思考はやめろ! 自責思考で動け!

と考えられた方もいらっしゃるかもしれない。

確かに、上を目指すのであればこの考え方は大事だ。他責…つまり結果の責任を自分以外の何かに求める姿勢は結局のところ「よって自分に出来る事は何もない」という結論に帰結してしまう。

そうなると、その人はもしかすると上に進むための努力をしなくなってしまうかもしれない。「よって自分に出来る事は何もない」のだから当然の話だ。

一方、自責思考…つまり物事の原因を自分にあると捉える考え方だと「だったら次はこうしよう」という発想になる人もいるかもしれない。

自責と他責、正しいのはどちらなのだろうか。

僕ばどちらも正しくないと考えている。

どちらも思い込みに過ぎない

自責思考は「公平世界仮説」や「公平世界誤謬」と呼ばれる世界の捉え方がベースになっていると思われる。すなわち自責思考を信じる人は「世界は公平であり、全ての行いには公正な結果が伴う」という思い込みに囚われている。

現実はそうではない。この世は理不尽や不合理な出来事に溢れている。

新型コロナウイルスに感染した場合、その責任は感染した人に100%帰属するのか? そんなことはないだろう。どれだけ感染予防に気を付けていても感染を防げない場合はあり得る。

交通事故に巻き込まれた場合、その責任は巻き込まれた人にも絶対に存在するのか? そんなことはないだろう。実際に10:0で加害者の方が悪いという判断になるケースも存在する。

一方、他責思考は「正常化バイアス」や「自己奉仕バイアス」などと呼ばれる考え方に囚われている状態だ。すなわち「何があろうと自分は正しい」や「上手くいったのは自分のおかげ」という思い込みに囚われている。

現実はそうではない。この世は想定外の幸運や人の助けに溢れている。

新型コロナウイルスから回復した場合、その功績は本人の回復力に100%帰属するのか? そんなことはないだろう。どれだけ回復力の高い人でも医療関係者の助けがなければ助からない場合はあり得る。

交通事故に巻き込まれた場合、その責任は交通事故を起こした本人に100%帰属するのか? そんなことはないだろう。責任の過多はあれど「喧嘩両成敗」な判断をされるケースも存在する。

現実は公正ではないし、自分だけの功績で全てを変える事も出来ない。

思考はツール

ここまで自責思考と他責思考、それぞれの誤りについて僕の考えを書いてきた。結論としては「他責も自責も正しくない」だ。

チョッピー
チョッピー

…で?「全てが正しくない」というニヒリズムに溢れた結論を提示されたところで何も嬉しくはないんだけど…。

慌てないでくれ。僕が本当に言いたい事はここからなのだ。

今まで書いてきた通り、僕は「他責思考も自責思考も世界の解釈方法としては正しくない」と思っている。だが、両方とも「ツール」としての使い道はあると思っている。

自責思考は間違っている。全ての結果の責任が自分にあるわけはない。

とはいえ前述した通り、そう考える事で「だったら次はこうしよう」などの改善策を考える事は出来る。それにより望ましい結果を100%得られるわけではないが、確率は上がるかもしれない。

同様に他責思考も間違っている。全ての結果の責任が自分に無いわけではない。

とはいえ「この結果は自分の行動が招いたモノではない」と考える事は精神の安定には役立つ。人間の心身は壊れやすい。さらに、一度壊れてしまうと、どれだけの療養期間を費やしても元に戻れる保証もなくなってしまう。

チョッピー
チョッピー

「元に戻らない」とは言いませんが。

その様な状況を防ぐためのツールとして「他責思考」は有益だ。自分に責任がないのだから、自分が気に病む必要はない。

「自責思考」も「他責思考」も世界の捉え方としては正しくない。

だが、ケースバイケースで「自責」と「他責」の思考を切り替えるのは、人間が幸せに生きていく上で有益な考え方なのではないかと思う。

本日の締め

今回は僕の考える「ツールとしての思考の使い方」についてのお話を書いてみました。

僕は基本的に思考も信念も感情も、全ては人間が生きていくためのツールに過ぎないと考えています。ツールには得手不得手があります。適材適所で臨機応変に取り換えていくべきです。

この態度を軽薄だと評する方もいらっしゃるかもしれません。全く持ってその通りだと思います。

ただ、個人的にはどの様な考え方にもとらわれることなく、軽やかに世の中を駆け抜けていきたいと考えています。

本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。

一つの考え方を熱狂的に信じるゆえの強さもあるとは思うのですが、僕にはその生き方は出来ない気がします。

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