【Daily Choppy !】第1021回:エッセイの功罪

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こんにちは。エッセイストではないのだけれど、チョッピーです。

エッセイの功罪
エッセイの功罪

今回の記事について

今年のゴールデンウィークは最大で10連休になるらしい。

チョッピー
チョッピー

5月2日(月)と5月6日(金)を休めば4月29日(金)~5月8日(日)までの10連休になる…みたいな計算っぽいですね。

本記事掲載日は4月30日(土)。ゴールデンウィーク2日目。

なので、今回も前回に引き続き気楽な気持ちで読める記事にしていこうと思う。

とはいえ実は「気楽な気持ちで読める記事」を書くのも結構、大変だったりする。

「気楽に書いた記事」が「気楽に読める記事」であるとは限らないからだ。

僕も毎日エッセイ的な記事を書き続けて1000日以上を数える人間。

上に書いた様な意見も、それなりの体感をもって語れるようになってきた。

今回はそれを踏まえて「毎日、エッセイ的な文章を書き続ける事の影響」でも書いてみようかな…と思う。

エッセイ的な文章を書き続ける事の影響

前提

この様なお話の場合、よくあるパターンとして「影響力」や「お金」などについての影響が語られるケースが挙げられるのではないかと思う。

今回の記事では、そちらについては語らない。

というか、僕の場合、その観点から語れる事など何もないのだ。

少なくとも「無名な人間」が「エッセイ的な文章」を1000日以上、書き続けても「影響力」や「お金」などの観点からはひとつも嬉しい事は起こらない。

チョッピー
チョッピー

えぇ! Twitterとかですら「1日20ツイートすれば影響力が増す!」みたいな意見もあるのに?

まぁ、人によっては「書き続ける事で影響力が増していく人」もいるのかもしれない。

ただ、僕の場合は、そんな「人生イージーモード」みたいな展開にはならなかった。なので、その観点から語れる事は何もない。

ご了承ください。

良い影響

こちらに関してはとにかく

  • 自分の考えが明確化される

に尽きる。

エッセイ的な記事を書く場合には、何は無くとも「自分の考え」がなければ話にならない。

チョッピー
チョッピー

商品紹介等の記事の場合は「考え」ではなく「情報」や「感想」が重要になる気がします。

これを起点に「面白い文章」に仕上げるために構成や表現を考える。

なので、最近の僕は普段の会話においても異様に理路整然としたロジックで物事を語っている気がしている。

多くの場合、そこで話されているトピックについて、すでに記事化しており、その場で考えながら話してはいないからだ。

なので、人から「何を言っているのか良くわからない」と言われがちな人は、毎日エッセイ的な文章を書いてみてはいかがだろうか。もしかすると、その問題も克服できるかもしれない。

…正直、明確な良い影響としては、このくらいしか思いつかない。

悪い影響

こちらはいくつかある。

  1. 時間を異様に注ぎ込んでしまう
  2. たいした実績でもないのにイキった状態になってしまう
  3. 人生の全てが記事作成のための素材になってしまう

それぞれ書いた通りなのだが、少しだけ追加で説明する。

1.時間を異様に注ぎ込んでしまう

これは本当にそのままの意味。

文章執筆には想像以上の時間がかかるのだ。

もちろん

チョッピー
チョッピー

へいへい、3000字くらいの記事なんてサクサクっと1時間くらいで書いちゃうぜ~!

みたいな人もいるのかもしれない。だが、僕の場合はそうではない。

大体1記事を執筆するのに(ブレはあるが)3時間~4時間くらいは必要だ。

それを365日毎日。

この費用対効果についてどう思うかは人それぞれ。

まぁ、とにかく時間は必要となる。

2.たいした実績でもないのにイキった状態になってしまう

最近、この悪影響をとみに感じている。

要は文章に関して社会人3年目~4年目くらいの「一番、勘違いしている時期」のような意識になってしまっているのだ。

というのも、今の僕は「他の誰が書く文章よりも、自分の文章の方が面白い」と感じている。

また、コンテンツ作成経験が僕よりも浅いように見受けられる方が、コンテンツ制作に関して何事かを言っているところを見かけると「とりあえず1000日連続で記事を作ってから言えば?」みたいな底意地の悪い感想を抱いてしまう。

この状態、とても良くない。

僕は前職で11年間働いていたからわかる。

この状態の若手が一番使えないし、一番、問題を起こすのだ。

なので、この状態からは早めに脱却したいと感じている。

下手に「1000日以上連続で記事を作り続けている」という実績があるだけにタチが悪いのだが…。

3.人生の全てが記事作成のための素材になってしまう

これは僕個人としては、そんなに悪い事だとは思っていない。

ただ、今の僕には、何か新しい事をする時に必ず「それはコンテンツ化出来るか?」という判断基準が入り込んでしまっている。

今のところ、これによる悪影響を僕はそんなに感じていない。

ただ、これが行き過ぎると「人生の目的がコンテンツ作成」となってしまう。

僕にとってのコンテンツ作成は目的ではない。手段だ。

ここは手段と目的を逆転させてしまわないように気を付けたいと思う。

今回の締め

今回は「気楽に楽しめる文書」を目指して「毎日、エッセイ的な文章を書き続ける事の影響」を書いてみました。お楽しみ頂けましたでしょうか。

本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。

僕、「気軽に楽しめる文章」を連続で書くの苦手かもしれません。

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