【Daily Choppy !】第610回:How to Enjoy life

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こんにちは。英語は苦手、チョッピーです。

How to Enjoy life
How to Enjoy life

成功したいなら

先日、『Daily Choppy !』で「成功のための最初の一歩」という記事を書いた。(『Daily Choppy !』第605回)

サクッと読める(たぶん)ので読者の皆様も上のリンクから読んで頂ければ嬉しい。だが、そう言ったところで記事の埋め込みリンクなど誰にも読まれないのが世の理。

いや、違う。勘違いしないでくれ。皆様を責めているわけではない。だって、言っている僕自身ですらあんまり読まないのだから。

チョッピー
チョッピー

リンク先の記事を読んで、それから元の記事に戻って、リンク先記事の内容を踏まえて本文を読むなど面倒。

大丈夫だ、安心してほしい。僕は優しいので人類のために内容を要約する用意がある。

上の記事の要旨は「成功したいなら、そもそも具体的に何がどうなれば”成功”と言えるのかを定義する必要がある」だ。

チョッピー
チョッピー

あまりに端的すぎる…と思われた方は申し訳ないが上の記事を読んでみて欲しい。3分くらいで読めると思う。たぶん。

成功しなきゃいけないわけじゃない

さて、上に埋め込んだ記事の要旨は前述の通り。だが、実は上の記事には最後に補足的に付け加えている1文がある。

別に必ずしも「成功」を目指して生きなくてもいいとは思いますけどね。

【Daily Choppy !】第605回:成功のための最初の一歩|ふらとぴ

今日の記事ではここを深掘りしていきたいと思う。

「成功を目指さない生き方」とはどういう事だろうか。上に埋め込んだ記事で僕は「課題は分解して考えろ」と書いている。自分の言葉を無視する訳にはいかない。「成功を目指さない生き方」についても分解して考えてみよう。

「成功を目指さない生き方」として考えられるのは次の2つだ。

  1. 「成功」という目標を定義しないまま生きる
  2. 「成功」という目標を定義しつつも、それを達成出来なくても構わないという気持ちで生きる

僕はこの2つのうちどちらを「いい」と思っているのか? 答えは両方。どちらでも良いと思っている。正確に言うと「本人がその状態を楽しんでいる場合に限り」という条件は入る。ただ、これは「成功を目指す生き方」についても同じことだ。

次の項でそれぞれについて少し詳しく述べてみよう。

「成功を目指さない生き方」で楽しく生きるためには

「成功」という目標を定義しないまま生きる

こちらは単純。「成功」という目標を目指さないで今をそのまま生きればいいだけだ。自分がその瞬間に「楽しい」と思う事をやって生きて、そして、自然の摂理に従って死ねばいい。

チョッピー
チョッピー

そ、そんな刹那的な生き方でいいの? そんな生き方をしているとロクでもない死に方をしてしまうのでは…?

そう思う人は「ロクでもない死に方をしないための生き方」を選択すればいい。もっと漠然とした「将来の不安」などを感じる人は「将来の不安を感じないための生き方」をすればいい。たとえば投資で資産を増やす…とか。多くの資産があれば不安が軽くなる人は多いと思う。

ただ、それも実は錯覚。いくら資産が豊富にあろうと最終的に「ロクでもない死に方」をしない保証なんてどこにもない。資産価値が暴落する可能性だってあるし、資産とは全く関係のない要因で望まぬ死に方をする可能性だってあるのだ。

たとえば今、この瞬間にトラックが突っ込んでくる可能性だってある。漫☆画太郎のマンガのように

チョッピー
チョッピー

例が極端

結局のところ、何がどうなれば「将来の不安」を感じなくなるのかは人それぞれ。最初から「将来の不安」がない場合は「成功」なんてムリヤリ定義しなくてもいいと思う。今、その瞬間に楽しいと思う事を次々とやっていけばいい。その結果、物事が好転する場合だってあるだろう。しない場合もあるかもしれないけど。

「成功」という目標を定義しつつも、それを達成出来なくても構わないという気持ちで生きる

こちらは少し心の持ちようが難しい。「成功の定義」を決めつつも極論、それが達成出来なくても構わない…という気持ちの持ちようが必要となる。

チョッピー
チョッピー

「成功の定義」を決めつつも、それが達成出来なくても構わない…? そんな心の持ちようがあり得るのかい?

僕はあり得ると思っている。その場合の「成功」は「人生の目的」ではなく「人生を楽しむための手段」となる。つまり「何かに向かって頑張っている状態そのものを楽しむ」という精神が備わっている人はこの生き方を選ぶと良いと思う。

この場合、結果の善し悪しはさして関係ない。成功に向かって努力した姿こそが美しい。そういう生き方だ。

チョッピー
チョッピー

うーん、詭弁に感じる。途中経過がどれだけ美しかろうと、結局、成功しなかったら意味なくない? ヨルシカの『藍二乗』でも『人生の価値は、終わり方だろうから』って歌われてる

藍二乗は確かに名曲。

ただ、ここで歌われている『人生の価値は、終わり方だろうから』もひとつの価値観に過ぎない。そう思う人だけが「終わり方」が望ましいモノになるように生きればいい。そう思わない人はそれに従う必要は無い。

「何かに向かって動いてる姿」が好きな人は最終的にどうなるのかはそこまで重視せずに、その過程を楽しめば良い。

「成功が大事」な生き方は馬車馬的な生き方となる

少し多めに紙幅を費やして「成功を目指さない生き方」について説明してみた。「成功しなければいけない」という考え方は世間一般に多く述べられている気がするが、そうではない考え方についてはあまり述べられていない気がしたからだ。

「最終的な成功」には確かにカタルシスがある。目標を設定して、それを達成するのは気分がいいことだろう。それはわかる。ただ、その生き方は僕から言わせれば「馬車馬的なモノ」だ。

ぶら下げられたニンジンを得るために懸命に走る。目的地に達成したご褒美にニンジンを得る。しばらくはその満足感に浸り、気分の良い生活を送れるだろう。ただ、いずれその満足感は無くなっていく。お腹が空くのだ。そして、また、ニンジンを得るために懸命に走る。

この生き方が好きな人は、もちろん、この生き方をして人生を楽しめばよい。だが、この生き方を好ましく感じない人はこの生き方をする必要は無い。その様な人は「成功を目指さない生き方」をして人生を楽しめばよい。

本日の締め

今回は僕の考える「3種類の人生の楽しみ方」について書いてみました。

「人生の楽しみ方」みたいな文章って書籍でもブログでも色々と読めます。僕個人の感想に過ぎませんが、そういう文章って大抵「人生の楽しみ方はコレ!」とひとつの方向性を示している気がします。

そうなる理由もわかります。何かを伝えたい場合、ワンイシューの方がわかりやすく読者に刺さりやすいとされている。特にビジネス文書の世界ではその傾向が強い。でも、実際は「人生の楽しみ方」なんて人の数・価値観の数だけ存在するハズです。

「成功せよ!」という意見もあれば「今を楽しめ!」という意見もある今の時代、「どういう生き方でも本人が楽しめればそれでいいんじゃない」というユルユルな意見もあってもいいんじゃないのかな?と思う今日この頃です。

本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。

生き方を考える上では「死は常に突然、訪れる」という事実が重要なファクターになる気がしますねー。

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